ここ最近は詰将棋のウェブサイトをまわりつつ作品鑑賞にいそしんでいるのだが、そんな中でひときわ目を惹いた作品があった。佐々木聡氏の「般若」がそれである*1。まずは煙詰めということで煩雑な初形が右辺から次第に片付いていく。飛車の遠打ち、合い駒の攻防など並べて鑑賞しているだけでも面白い。右辺から下の段が整理されていき、やがて下のほうから今度は左下、さらに左上へと駒が整理されていく。その過程も非常に興味深いのだが、本当に驚いたのは106手目の局面。残り数枚になった駒が捨て駒によって次第に整理されていき、105手目に▲5三龍で▽同玉と、とうとう大駒の龍まで捨ててしまった場面での局面が下の通り。

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│__│__│__│__│▲銀│__│__│__│__│一
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│__│__│__│__│__│__│__│__│__│二
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│__│__│__│__│▽玉│__│__│__│__│三
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│__│__│__│__│__│__│__│__│__│四
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│__│__│__│__│▲と│__│__│__│__│五
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│__│__│__│__│__│__│__│__│__│六
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│__│__│__│__│__│__│__│__│__│七
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│__│__│__│__│__│__│__│__│__│八
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│__│__│__│__│▲香│__│__│__│__│九
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(106手目▽同玉まで)

これに遭遇したときの驚きを、どう表現したら良いのだろう。パチパチとテンポ良く手順を並べていた手が思わず止まってしまった。詰将棋で「美」というものを導入するならば、こういうものを指すのではなかろうか。左辺、右辺が片付いて、残ったのが真ん中に縦一直線の駒四枚。下界から天上へと登りつめるような、鯉の滝登りを髣髴とさせるような収束。雲間から差し込む一条の光を頼りに、空を目指して彷徨い飛び回っていた「と金」という鳥が、ようやく目的地を発見して飛んで行くようである。煙詰めといえば、上のほうで龍や馬を使って押さえつけるように収束する作品が多いという印象があったのだけれども、どうやら私の勉強不足だったようだ。浅学すぎて涙が出てくる。
もう、この作品に遭遇することが出来たというそれだけで生きていて良かったようにすら思う。そうまで言ってしまっては極端すぎるか。いや、それくらいの感動はあるといって良い。


……と、まあ、久しぶりに昂奮してしまったわけだが、まだまだこうした名作と呼ぶべき作品があるはずである。もう暫くはそうした名作を探してみようと思う。
ということで、今日は若島正「盤上のファンタジア」を購入。確か八重洲ブックセンターに上田吉一「極光21」が売られていたはずなので、近日中にそちらも入手する予定。ここまで書いていて返す返すも悔しいのは、私に、本当の意味でこうした作品を味わうだけの棋力が無いことか。もう少し詰将棋の解図能力があれば、おそらくもっと深い意味での味わい方が出来るのだろうに。並べるだけでも面白いには違いないが、出来ることなら自分で解いてみたいものだ。
そして、出来るものなら、こういう問題を作ってみたい。あと何年かかるか分からないけれど。

*1:「風みどりの玉手箱」様の「私の愛した詰将棋の本」というコーナーを参考にしました。深謝いたします