雑談

東京国立博物館で開催されている「唐招提寺展」をA-Leo氏と観にいってきた。


私は普段から博物館に行く機会などまず無い。ゆえに国立博物館に行くのも初めてだったのだが、A-Leo氏はこうした展示に行く機会も多いようで、何だか場馴れしている。


さて、この催しは、唐招提寺の大修理を機会に寺にある仏像、彫像、絵画を運び出して展示したものであった。説明によれば、寺の金堂はそもそも年月が経って綻びができていたのだが、そこに阪神大震災があったものだから建物がだいぶん傾いてしまったのだそうな。で、このままでは寺を後世に残すことができないということで、一旦金堂を解体してもう一回作り直すことにしたのだという。こう書くと簡単のようだが、実は10年の歳月を要する大事業だ。こうした事業があるということを知らなかったということで自分の無知を反省。


無論、展示はずいぶん愉しめた。
まず目玉は本尊の「盧舎那仏坐像」であろう。現物を見るとかなり迫ってくるものを感じる。
そういえば手に水掻きがあることもチェックできた。水掻きというのは、手の指と指の間にある薄い膜のようなものである。よく見ないと気づかないかも知れない。


個人的には帝釈天立像のほうが興味を引かれる。なにせ帝釈天である。「帝釈天で産湯を使い〜」という「男はつらいよ」の口上で有名な、帝釈天である。どういう姿として捉えられているのかを知らなかったから、正直にいえば「へぇ」であった。もう少し鎧兜を着込んだ像かと思っていただけにそのギャップに惹きつけられたというところだろうか。


そうして仏像を一通り回ってしまうと今度は東山魁夷の壁画が並んでいる。
いや、まったくもって見事、天晴の一言に尽き、嘆息すら漏れる。
魁夷は近代の芸術家であるということもあってか、水墨画から写実主義まで様々な作品が並んでいる。どれを選べなどというのは難しい問いだが、「山雲」「濤声」などは秀逸である。


そして「鑑真和上坐像」が登場する。
歴史の資料集で見たことはあるが実物を見たのはもちろん初めてである。
人が並んでいたので余り見られなかったのが残念ではあるが、その雰囲気は確かに感じられた。


それから唐招提寺そのものの紹介に移る。こちらはいろいろと小ネタを仕込めたのだが、あえて書かないことにしよう。紹介VTRのコーナーが混んでいて観ていないので、あまり詳しいことは書けないということもあるし。


さて、全体を通していえば、作品そのものの良さは感じ取れたのだが、もう少し背景知識を付けておけばもっと興味深く見られたかと思う。多少は知識を仕入れておいたはずだが、まだまだ不十分だった。ゆえに日本史を勉強する必要性を痛感した次第である。
ま、こうした話は日本史だけに限ったことではないのだが。世界史もそう。博物館の常設展は「踊るサテュロス展」というものだったのだが、こちらも観にいけばやはり背景知識の欠如を痛感したのだろうし。
マジアカでも日本史と世界史は鬼門だし。久しぶりに教科書でも読んでみようか……